-  月別アーカイブ -

投稿一覧::2018月05月

1993年のロンドンと崩れた日本的仕事観:不動産金融の勃興の中で【第2回】

東京共同会計事務所サムネイル

1990年代の後半から2000年代の前半にかけて、日本の不動産投資市場は勃興期にありました。

1996年に当時の橋本総理が「日本版ビッグバン」宣言を行い、我が国の金融市場をNYやロンドンに匹敵する国際金融市場とすべく、金融システム改革に全力で取り組むよう指示がありました。これを受けて、1998年にいわゆるSPC法(現在の資産流動化法)が施行され、2000年には投資対象を不動産にも広げる投信法の改正が行われ、SPCやリートを活用する集団投資スキームの市場整備が矢継ぎ早に行われました。

2001年9月10日にスタートした東証Jリート市場は波乱の中での船出となりました。その翌日にアメリカ同時多発テロが発生したからです。

その後、幾多の法令改正や各種制度の整備、リーマンショックやアベノミクスなどの好景気や不景気を経て、徐々に洗練され高度化してきた日本の不動産金融市場。

今回より複数回に渡り、東京共同会計事務所・シニアアドバイザー(業務委託)であり、日本の不動産投資市場を黎明期より見続けた公認会計士・原田昌平(元・新日本有限責任監査法人常務理事)が、その歴史や金融手法の変遷を語ります。

 

第1回はこちら

金融専門の公認会計士、ロンドンへ行く:不動産金融の勃興の中で(第1回)

 

著者原田昌平(エントランス)10

原田 昌平/公認会計士

東京共同会計事務所 シニアアドバイザー

中央大学商学部卒業、1984年、監査法人太田哲三事務所(現 新日本有限責任監査法人)に入所。1993年よりEYロンドン事務所に出向。1999年、新日本有限責任監査法人パートナー就任。1999年、EY Global Financial Servicesに兼務出向。2012年、新日本有限責任監査法人常務理事に就任。この間、国土交通省の不動産投資市場確立フォーラム・不動産市場安定化ファンド検討委員会、鑑定評価制度見直し検討委員会、内閣府の不動産・インフラ投資市場活性化会議、企業会計基準委員会の投資不動産専門委員会・特別目的会社専門委員会、日本公認会計士協会の投資信託専門部会・SPE検討専門委員会、など多数の委員を歴任。

2017年7月より東京共同会計事務所のシニアアドバイザー(業務委託)に就任。

1990年代という時代

私の30年間の公認会計士人生を振り返ってみますと、常に背伸びをし、新しい分野にチャレンジしてきた30年間であったと思います。

私は新しもの好きで、古い枠組みや前例踏襲といった考え方につい反抗してしまうところがありましたので、これまでの仕事のやり方や方針を変えることが度々で、上司や部下の方達には随分と迷惑をかけたのではないかと思います。

しかしながら、私が公認会計士としてのキャリアを歩み始めた80年代から90年代にかけて、時代はバブル崩壊とグローバル化大きなうねりの中にあったので、私のこうした「進取の精神」はその時代に上手くマッチしていたような気がします。

そうした意味では、今の時代もデジタル化という新たな大きな波が押し寄せて来ており、ビジネスのあらゆる分野でパラダイムシフトが起こる時代となっています。

若い方達には安定を求めず、新しいことにどんどんチャレンジしていって欲しいと思います。これからの時代、これまで安全確実と言われた生き方を求めても、その前提が崩れていくこともあると思います。自分の好きなこと、やりたいことにチャレンジしていく生き方のほうが、結果として充実した人生をおくることになるのではないでしょうか。

 

1993年のロンドンにて

さて、前回のような経緯を経て、EYロンドン事務所に赴任した私ですが、ロンドンでの生活は言葉やカルチャーの違いもあり、慣れるまではいろいろと大変でした(帰国して健康診断をしたら十二指腸潰瘍の跡がみつかりました!)。

一方で、楽しい思い出もたくさん出来ました。妻とは、折角の機会なので貯金などせず自分達に投資しようと決めていました。1時間のフライトでパリに行けるので、週末を利用してあちこち行きました。帰国する時にパスポートのスタンプを数えたら、4年間で24個もありました。

そんな中で、日本で培われた自分の人生観やライフスタイルも、変わっていきました。

正直に言うと、日本にいた頃の私は相当なパワハラ上司であったと思います。生活も完全に仕事中心でした。毎日遅くまで残業し、土日に出社するのは当たり前、部下にもハードワークを強要しました。高校時代はインター杯にでるようなガチガチの体育会系サッカー部に所属していましたので、組織人格が強いというか、それが当たり前とも思っていました。

そのような私にとっては、イギリス人の働き方はカルチャーショックでした。ほとんどのイギリス人は残業をしません。8時に早出したら4時には帰ってしまう。残業しているのは日本人と韓国人だけです。それなのに仕事の品質は高く、クライアントからの報酬や会社からの給与も日本の何倍も貰っていました。

それを目の当たりにして、私の考えもすっかり変わりました。

人生は楽しむためにある。仕事も人生の一部であり楽しむのも良い。長く働くことに価値がある訳ではなく、休む時は休み、遊ぶ時は遊び、仕事にメリハリをつける。これを実践するために行った仕事での様々な工夫や仕事以外の様々な人達との交流と経験が、結果として業務の効率化と品質の向上に繋がることに気付きました。

以降、日本に戻り自分の部署を持つと、部下には休みをとることを奨励しました。また、部下のビジネススキルの向上にも心を砕きました。プロジェクトマネジメントとコミュニケーションのスキルをビジネスのコアスキルだと見定め、部下には研修で徹底しました。そのような取り組みは当時の監査法人では珍しかったと思いますが、その影響か、私の部署の利益率はダントツに高くなりました。

ロンドンには4年間滞在し1997年8月に帰国しました。

異文化に触れ、様々な価値観を吸収した、実りのある4年間を得た充実感と、久しぶりの日本に期待で胸が膨らんでいました。

 

ところが、日本では金融危機が待っていたのです。

次回に続く

第3回はこちら

2018年05月25日 - 09:59 - ブログ

第1回TKAOビアバッシュを開催しました!

皆さん、こんにちは。

東京共同会計事務所 広報担当です。

 

先月、第1TKAOビアバッシュを開催しました!

ビアバッシュ(Beer Bash)とは、外国の会社で行われるイベントで、ビールとピザを食べながら、みんなでワイワイ楽しむ会のようで、シリコンバレーなどでもよく開催されているそうです。

TKAOでは初めての試みで、皆、「ビアバッシュって、それ何?」状態ではありましたが、多くの社員が参加し、おいしいお酒(ビール以外にもワインなども用意しました!)や軽食をとりながら、楽しい時間となりました!

CIMG0282CIMG0277

CIMG0281CIMG0285

 

また、今回、ビアバッシュに特別ゲストをお招きしました!

ビアバッシュは「社内交流」が第一の目的ではありますが、それだけではつまらない!と、広報担当のアイデアで、「プロとして働くうえで “本物に触れる”ということは大切だ!!」という理由から、縁あって、平昌パラリンピック、クロスカントリースキー金/銀メダリスト 新田佳浩様にお越しいただきました!!!

新田様には、パラリンピックまでの出来事や道のりなどをお話いただきました。もちろん、メダルも触れさせていただきました!

お話いただいた内容は興味深いものばかりで、プロとして仕事をする上でも参考にさせて頂きたい要素がたくさんあり、とても勉強になりました。TKAO社員も、みな真剣に聞き入っている様子が印象的でした。

CIMG0304

CIMG0301

 

既に第2TKAOビアバッシュの準備も始めました!

今後も、ビアバッシュも含め、様々な企画を通し、「社内交流」をはかっていきたいと思っています!

 

東京共同会計事務所にご関心のある方は、是非、エントリーください。

https://www.tkao-recruit.com/entry/

東京共同会計事務所 広報担当

 

2018年05月22日 - 18:48 - ブログ

金融専門の公認会計士、ロンドンへ行く:不動産金融の勃興の中で【第1回】

東京共同会計事務所サムネイル

1990年代の後半から2000年代の前半にかけて、日本の不動産投資市場は勃興期にありました。

1996年に当時の橋本総理が「日本版ビッグバン」宣言を行い、我が国の金融市場をNYやロンドンに匹敵する国際金融市場とすべく、金融システム改革に全力で取り組むよう指示がありました。これを受けて、1998年にいわゆるSPC法(現在の資産流動化法)が施行され、2000年には投資対象を不動産にも広げる投信法の改正が行われ、SPCやリートを活用する集団投資スキームの市場整備が矢継ぎ早に行われました。

2001年9月10日にスタートした東証Jリート市場は波乱の中での船出となりました。その翌日にアメリカ同時多発テロが発生したからです。

その後、幾多の法令改正や各種制度の整備、リーマンショックやアベノミクスなどの好景気や不景気を経て、徐々に洗練され高度化してきた日本の不動産金融市場。

今回より複数回に渡り、東京共同会計事務所・シニアアドバイザー(業務委託)であり、日本の不動産投資市場を黎明期より見続けた公認会計士・原田昌平(元・新日本有限責任監査法人常務理事)が、その歴史や金融手法の変遷を語ります。

著者原田昌平(エントランス)10

原田 昌平/公認会計士

東京共同会計事務所 シニアアドバイザー

中央大学商学部卒業、1984年、監査法人太田哲三事務所(現 新日本有限責任監査法人)に入所。1993年よりEYロンドン事務所に出向。1999年、新日本有限責任監査法人パートナー就任。1999年、EY Global Financial Servicesに兼務出向。2012年、新日本有限責任監査法人常務理事に就任。この間、国土交通省の不動産投資市場確立フォーラム・不動産市場安定化ファンド検討委員会、鑑定評価制度見直し検討委員会、内閣府の不動産・インフラ投資市場活性化会議、企業会計基準委員会の投資不動産専門委員会・特別目的会社専門委員会、日本公認会計士協会の投資信託専門部会・SPE検討専門委員会、など多数の委員を歴任。

2017年7月より東京共同会計事務所のシニアアドバイザー(業務委託)に就任。

金融専門の公認会計士として歩んだ30年

はじめまして。原田昌平と申します。

私は、新日本有限責任監査法人(以下、新日本)に約30年勤務しましたが、最初の10年間(1980年代)は若手公認会計士として会計監査に従事し、社会人としての基礎を学びました。また、大手都市銀行の監査を通じて金融ビジネスというものに大変に興味を持った時代でもありました。デリバティブズというものが登場し、金融工学やグローバル化など金融ビジネスが新しいフェーズに入った時代でした。

次の10年間(1990年代)には、メンバーファームであるアーンスト・アンド・ヤング(以下、EY)のロンドン事務所に4年間出向し、続いてEYと新日本との合弁会社である金融コンサル会社に出向する機会をもらいました。アドバイザリーサービスの面白さに目覚め、監査からアドバイザリーに軸足が移った時期でした。後ほど詳しく書きますが、この時期は日本がバブル崩壊の後遺症で不良債権処理と金融危機に苦しんだ時代でした。

そして、最後の10数年間(2000年以降)には、不動産セクターやアドバイザリーサービスの日本エリアの責任者として事業部長や常務理事を務め、EYグローバルのエグゼクティブ会議にも参加し、ビッグファームのマネジメントに深く関与する経験をさせてもらいました。

お陰様で様々な分野にチャレンジする機会に恵まれ、苦労もありましたが、充実した30年間ではなかったかと思っています。これまでお世話になった新日本の皆様には大変に感謝しております。

そして、新日本の常務理事を退任後、これまで培ってきた知見を後進の育成に役立てたいと2017年7月に東京共同会計事務所のシニアアドバイザーに就任しました。

こうした私のキャリアの中で、私が最も情熱を注ぎ、そして最も充実した日々を過ごしたのが2000年代前半の不動産投資市場の勃興期でした。その頃から既に20年近くが経ち、当時を知る人の多くが第一線から退いてしまいましたが、この機会に当時の様子を思い起こし、若い方がキャリアを考える際の参考になればと思い、そのエキサイティングな時代を振り返ることにしました。

EYロンドン事務所への出向

90年代後半は金融危機や金融行政が大きく変わった時期ですが、そのお話をする前に、私のロンドン駐在の経験も若い方のご参考になるのではないかと思いましたので、先にお話しさせて頂きます。

私は1993年の7月にEYロンドン事務所に出向し、ジャパン・ビジネス・サービス(以下、JBS)という日系企業のサポートと営業を担当する部署に配属されました。当時は私を含めて日本から派遣された公認会計士が4名、日本語を話せる英国人秘書が2名おりました。

当時のロンドンの日系企業は、規模の大小にもよりますが、日本人駐在員が数名、残りは現地採用という構成が多く、日本人駐在員が総務から人事からマネジメント関係の業務をすべて担当していました。そうした駐在員は営業系か技術系の方が多く、会計・税務は不案内でしたので、経理や税務等の業務についてはわれわれJBSが日本語でサポートをしていたのです。

ロンドンに出向する前には一悶着がありました。

当時の監査法人は創設時からのカリスマ的な大先生が多数いらして、私はそうした先生方の監査クライアントを任せて頂いておりました。そうした中で、何人かの先生にはロンドン駐在を反対されてしまいました。折角のポジションを捨ててバカではないか、目をかけたのに裏切るのか、とか随分と言われてしまいました。

当時は、国内部から海外へ出向するのは初めてのケースでしたので、目をかけた部下が勝手に飛び出して行くのが先生方にすれば面白くなかったのでしょうし、また、パートナーのローテーション制度はまだありませんでしたので、特定のクライアントを引退するまで関与することも可能だったのです!

私もそうした先生方にはお世話になりましたので申し訳なく思いましたが、後任への引継ぎには十分な時間をかけることでご容赦いただき我儘を通させて頂きました。

そんなことがありましたが、後にパートナーのローテーション制度が導入され、優良クライアントを担当してもいずれは外れなければならなくなったこと、グローバル化により国際的なビジネス感覚やスキルを身に着けることがキャリアでの強みになったこと等を考えますと、ロンドンに行って本当に良かったと思っています。

世の中はどんどん変わるので、何かをあてにして古いものにしがみつくより、新しいことにチャレンジして自分をどんどん変えていくことの方が大事なのではないでしょうか。

そして、いよいよ期待に胸を膨らませ、ロンドンでの生活が始まりました。

そこでは、日本で培われた私の価値観が大きく変わっていくこととなるのです。

次回に続く

第2回はこちら

2018年05月07日 - 11:07 - ブログ